おいしいカレーができるまで

 

 

2020年1月22日、今日は歴史的な日です。

大好きなSnow Manが遂にCDデビューします。

 


これまでそらめもとしてここまで多くを語ったことはあまりないのですが、折角の機会なのでこれまでを振り返ってみようと思います。

自分で思っていた以上におもしろくない仕上がりになっておりますので、どうかご容赦ください。

 


※注意

ほぼ個人的な内容であり、総意ではなく一個人としての考えです。悪意などは全くもってございませんが、もしもご気分を害されてしまった場合は申し訳ございません。お読みになるかどうかはご自身でご判断ください。

(これも全くもってそんなつもりはなかったのですが、いざ書き終えてみたら捉え方によっては若干ネガっぽくなってしまった気がするので水を差すようになってしまっていたらそこだけ本当にごめんなさい。。気持ちはめちゃくちゃポジティブです。。。)(あと誤字脱字あったらごめんなさい。。。)

 

 

 

 

 

 

 

 


私が佐久間くんを"担当"として応援するようになったのは、今から6〜7年ほど前のことです。

それ以前は青春時代をエビキスに捧げ、両グループのデビューも見送ってきました。となると当然、入所からそう遠くない頃よりずっと存在は認識しており、活躍も人並みには拝見しておりましたが、まだその当時は"担当"として応援するには至りませんでした。デビューを見送って自分の中でなんとなく一区切りつけて落ち着いてしまった頃、ギラギラと眩しく見えたSnow Manに激しく惹かれ今に至ります。

よって、まだまだ彼らのジャニーズ人生の半分にも満たない期間しか応援できていないわけですが、それでもいろんなことがあり、非常に濃い時間だったように思います。本当に良い時代を応援させていただいたなぁと心から思います。

 

 

 

私が応援し始めた頃は6人体制として再スタートして少し経ち、徐々に固まり始めた頃だったように思います。

それでもまだメディア露出はそう多くはなく、2:4の仕事も多かった頃、今でこそ切込隊長として先陣を切っている佐久間くんもまだ比較的大人しく、だてさくも殺伐な時代でした。チケット抽選は先振込に電話当落確認、YouTubeやISLAND TVではなく滝CHANnelでした(懐かしい)。クリエ以外は基本バック仕事でしたが、現場数はとにかく多く、"ルーティン"をこなしていく日々でした。

(とはいえもう少し前から比べると相当恵まれた環境だったのだと思います。)

 


そんな中ひとつの転機となったのが、やはり2015年の滝沢歌舞伎10th&海外公演、少年たち初演かと思います。

 

滝沢歌舞伎では10年の集大成として懐かしのゲストを迎え、シンガポール公演でも堂々とステージに立ち、たしかな手応えを感じたように思いました。だてさくの雪解け(やたら注目してしまう)も、海外意識が高まったのも、この年の歌舞伎がきっかけでした。


そして少年たち。

はじまりこそ駆け込みではありましたが、形はどうあれW主演を掴み取れたこと、そしてそこから映画や地方公演を含め5年繋ぎ続けてきたことは本当に大きいことだったなと思います。まさに一瞬のチャンスを逃さず貪欲に努力してきた結果で、今のポジションを確立するための大きな要素となっているに違いありません。初めてのオリジナル曲をもらえたのも少年たちでした。

2019年、集大成として挑んだ日生公演の千秋楽には、たくさんの青春と熱い想いが詰まっていました。

 

 

 

それから、滝沢歌舞伎での役どころがより主要なものになり、夏のEXなど新たな仕事も徐々に増え始め、それまでクリエだけだった単独公演も回数と規模を拡大し、それに反比例して所謂"バック仕事"は少なくなっていきました。

つまり、"Snow Man"としての仕事、グループそのものの力が問われる機会が増えていきました。

 


ここから結構すっ飛ばしてしまう(?)のでポイントだけ掻い摘むと、

2015年秋ある朝起きたらすの日常の連載が決まっていて世界回りすぎてて嬉しかったなぁとか、冬帝劇は恒例行事だったなぁとか、

2016年歌舞伎は初めての健くんと金ちゃんでいろんなものがここから始まったなぁとか、キスマイツアー楽しかったなぁPSYCHOはバチクソにかっこよくてISNは激アツチューンだったなぁとか、サマステのパフォーマンスバトル(夢でまた逢えたら)めちゃくちゃ素敵だったなぁとか、

2017年ラストクリエのいきなりドッジ死ぬほど笑ったなぁとか、キントレ単独公演のおジャ魔女カーニバルC&Rブチ上がったなぁSFコントおもしろかった()なぁオーラスの愛タカとエピローグは忘れられないなぁとか、少年たち地方公演楽しかったなぁ広島は濃霧で予定通り着陸できなくて開演押したなぁとか、湾岸は初めての単独冬ライブでサンタコスかわいかったなぁでもTTT(2014年)の時のトナカイもかわいかったなぁそして真冬のナガレボシはエモかったなぁとか………

あとはやたらバスケやファンカッションもやったなぁとか、途中ザワついたりした時期や怪我に苦しんだ時期もあったなぁとか…………

思ったより長くなってしまいましたが、掻い摘んで(?)もいろいろありました。(細かい現場ごとの感想はTwilogに蓄積されているはずです)

 


話を戻して、それ(="Snow Man"としての仕事)が最もピークだったと感じるのが2018年。ヒガシ大先輩に頭が上がらない珠玉のハピアイと、後輩のデビュー発表から始まる激動の年でした。

 


まず大きかったのが、4ユニ合同公演を経ての3月の横アリ初単独公演。これは(決してネガティヴな意味ではなく)私史上最高に幸せを噛み締めた時間でした。

Snow Manとして初めての1万人超、2時間超規模、それはもう未知の世界すぎたために自分が出るわけでもないのに勝手に不安になり、嬉しすぎて死ぬほど購入した大量の初個人団扇佐久間くんを携えながら開演直前は吐きそうなほど緊張していました。(なんで)

しかしいざ始まってみると楽しさしかなくて、むしろ楽しすぎてあんまり記憶がないくらいでしたが、彼らの持てる全てを詰め込んで全力でファンのことを楽しませようとしてくれていて、さらに私たちも盛り上げようと声を出して…お互いがお互いのためにと思いやりに溢れた公演だったなと感じます。セトリもとんでもない王道でありつつ、この道を辿ってきたSnow Manにしかできないもので、同時に"本気"を感じた公演でもありました。

誰が何を言うわけでもなしに白のペンライトが一斉に揺れたSnow Dreamのあの光景は、まるで彼らとファンがこれまで積み上げてきたものの結晶のようで、きっと一生忘れることがないと思います。世界で一番優しくて美しい景色で、粉雪に包まれキラキラと輝く6人は強くて、この約束は絶対に果たさなければならないと気の引き締まる思いでした。

 


それからはもう激流で、YouTube配信が始まり、歌舞伎は御園座公演まで完走、サマパラも爆発的に楽しかったです。横アリ単独が比較的内向き(これまでの感謝&決意表明)だったのに対しサマパラは攻めの姿勢で、あの横アリを経てまたひとつステップアップしたのだなと感じました。(ちなみに全12公演のMission S6のうち、初回しか成功しなかったのが最高にSnow Manだなと思いました(?))

そして来たる秋には貫禄ある少年たち4年目を終え、それぞれ大きな外部仕事。まさに夢のようでした。

 

 

キャッシュ・オン・デリバリーはこれもまた、自分が出るわけでもないのに不安になり、大阪初日は大阪に向かう前からお腹が痛くて開演前は吐き気と手汗で死にそうでした(2018年2回目)(なんなら重症化)。

でもいざ始まると、こんなに笑ったのいつぶり…?というくらいお腹の底から笑って、幕間にはただただ「すごい、すごい!!!!!!」としか言えなかったことをよく覚えています。

東京千秋楽は2人が頼しすぎて、カンパニーが温かすぎて涙が止まらず、こんなにも終わらないでと願ったことはありませんでした。

 

他メンバーの外部仕事についても誇らしくて誇らしくて…宮舘くんのドラマも素晴らしく、胸が熱くなりました。唯一の心残りは愛と青春キップを拝見できなかったことでした。(本当に観に行きたかった…友人からご立派だったという話はめちゃくちゃ聞きました)

 

殿御勇退後の歌舞伎継承も決まり、年末のカウコン放送前では東京ドームで堂々とオリ曲を披露…確かな手応えと可能性を感じ、期待に胸を躍らせながら、激動の2018年を終えました。

 

 

 

 


そしてまだ記憶に新しい2019年、命懸けで走り続けた1年でした。

※ここから特にセンシティブな内容なのでご注意ください。誹謗中傷はご遠慮願います。。。

 

 

 

 

滝沢歌舞伎ZEROの南座公演や映画少年たちの公開を心待ちにしていた最中、1/17未明に突然の報せ。水面下では実しやかにそんなような噂も囁かれていましたが、いやまさか…と。

増員の是否は全く別として、この日については二度と思い出したくないほどに辛く苦しく悔しい記憶しかありません。あの日、ほぼ一睡もせずにきちんと出社した自分を、生き抜いた全ての関係者を褒めて褒めて褒め称えたいくらいです(?)。

 


決して長くはない期間だったかもしれませんが、これまで確かに6人のSnow Manをただただ信じて自分なりに必死に応援してきた身からすると、それは到底理解し難くまた受け入れ難い出来事でした。

はじめの頃は何がどうなっているのか全くわからないまま事だけが進んでいき、振り落とされまいと必死に喰らいついていくような状態でした。今までとはまた違った必死さだったと思います。

たくさんのいたたまれない悲嘆、非難の声も目にして悲しい気持ちになりつつも、気持ちもわかるばかりに心苦しい部分が大いにありました。

 


そのような中迎えた2/3、滝沢歌舞伎ZERO南座初日。

まさかこんな複雑な気持ちでこの日を迎えるとは思ってもみませんでしたが、幕が開けた瞬間から彼らの気迫に圧倒され、そこにすべての正解があったように感じました。

 

"怖い"と感じるくらいの気迫は、猛スピードのジェットコースターに乗って激しいGがかかっているような感覚をもたらし、とにかく"本気"と"覚悟"を強く強く感じました。このパフォーマンスから感じる全てが彼らの覚悟であり、見据えてる先がこれから進むべき道なのだと、文字通り態度で示してくれました。

 


3月の横アリで初めて9人体制を目にした時も、やはりここでも思うことはたくさんありましたが、朝焼けの花に盛り込まれた全ての覚悟と決意を肌で感じ、「何があってもこの選択を正解にしていかなければならないんだ」と思いました。

これまでもいろんなものを背負ってここまでやってきたのに、まだこんなに背負わなければいけないのかと勝手に憤る部分もありましたが、当人たちは怖いくらいに強く前を向いていて、でも根の優しさは変わっていなくて、いつも手を差し伸べてくれて…絶対に絶対に足を引っ張ってはいけないし、幸せになってもらわなければ、幸せにしなければと強く思いました。

 

 

 

それからというもの、従来とは比にならないほどのスピードで全てが進んでいき、Snow Manの名前もどんどん知れ渡っていきました。知人からも「テレビでよく見るね」などと声をかけてもらうことが増え、嬉しさと驚きとついていくことへの必死さとで、とにかく忙しく日々が過ぎていきました。

来たる8/8のデビュー発表はもちろん大きな出来事でありつつも、これも駆け抜けた感覚が強く、かつて夢のまた夢に描いていた"憧れの終着点"のひとつが、もうただの通過点になるまでにトップスピードで走っていたのだと気づき驚きました。

 

秋になるとデビュー日発表やデビュー曲披露など、どんどん”デビュー”というものが現実味を帯びてきて、緊張感が高まっていきました。年末年始にはそれがさらに高まり、気づけばデビューは目前に迫っていました。

 

 


そんなタイミングで唐突に改めて語られた”増員”について(先日の深イイ話)。かなり予想外でありつつも、ここでかなり報われた部分がありました。

そこで語られた増員の理由「Snow Manを守るため」。これは6人目線のものなので、角度によってはあまりよく思われなかった方も中にはいらっしゃるかもしれません。でもこのタイミングで、あえてこの角度から語られることは意味のあることだったのではないかと感じています。

 

私個人としては、「Snow Manを守るため」という言葉を本人たちの口から聞けたことはもちろん嬉しかったですが、それはきっと紛れもない事実でありながらもその裏にどれだけのことが詰まっているかはわかりませんし、何よりそんなことはこれまでの彼らの発言や行動からずっと察していたので「改めて聞けてよかった」というくらいでした。

それ以上に、公式に6人のああいった時間を設けてもらえたこと、6人の歴史を前向きに発信してもらえたことが何より嬉しかったのだと気づきました。

それは増員してからというもの、6人時代のことを語ろうとすると過去に固執していると見られるのではないかと不安になったり、そもそも3人に申し訳ないと感じたり、なんとなく6人時代を語ること自体がタブーとされている感覚や自らそうしている部分があったからだと思います。自分なりに解釈して前向きに捉えて歩んでいるつもりでしたが、やはりどこかでそれが引っかかっている部分があったようでした。

いろんなご意見はあるかと思いますが、少なくとも私は公に取り上げてもらえたことによって「そんなことないよ」と言ってもらえている気がして心が楽になりました。

 

とは言っても、加入した3人の覚悟や苦労は計り知れずとも、それがあったこと自体は彼らを知ってからまだ日が浅いなりにも理解しているつもりですし、何より6人がきっとその時代や苦労を大声で語ろうとはしないんだろうな…と思うので、この機会があったからといってこれまでとスタンスを変えるつもりはあまりありません。

でもそれを「我慢」ではなく「前向きな意思」と位置付けられることが私にとっては大きな進歩でした。

 

 

 

 


きっと相当早い段階で頭ではすべてわかってはいたのだと思いますし、今でこそわかることもたくさんあります。とはいえ私も人間かつ担降りに年単位で悩んでしまうくらいの思考重めのタイプなので(?)、渦中は正直しんどいなと思うことも、あまり心から楽しめない時もありました。

これから先どれだけの時間と楽しい記憶を重ねても、(1/17の出来事も含め)程度が薄れることはあれどこれらが楽しい記憶に変わることは一生ないと思います。

それは決してネガティブな意味ではなく、それが私にとっての6人のSnow Manを愛したひとつの証であり、9人の覚悟を尊重して未来を紡いでいくにあたっての自分への戒めとなると思うからです。いつか「あんなこともあったね」と言えるようになればそれで良いと思っています。

 

まだ前向きになれない方もどちら側にも多くいらっしゃると思いますし、特に6人側の方だと「あの時語ってくれたことは嘘だったのか?」と思われる方も少なくないかと思います。勝手ながらお気持ちもすごくよくわかります。

でもそれは絶対に嘘ではなくて、皮肉にも嘘ではないからこそ今に至っているのだと私は思います。だからこそあまり無理はしなくていいんじゃないかと思います…ただ矛先の向けどころがない怒りに苛まれ苦しまないでほしいなと思います…と差し出がましくすみません。。

 

ちなみに私は受け入れたのか受け入れられてないのかと聞かれたら、どちらとも違うと答えるかな…と思います。「彼らの意思を尊重して全力で応援する」というスタンスなので、もちろん拒絶はしていないですし、でも受け入れるとは若干ニュアンスが違うかなぁという感覚です。これはただの変なこだわりです。(?)

 

 

 

 

 


ここで急にタイトルの回収(?)に入りますが、いろいろ踏まえて改めて考えてみるとSnow Manはカレーなんだ…というところに行き着きました。(?)

 

2012年ににんじん、じゃがいも、たまねぎ、お肉…と親しまれている具材で調理が開始され、それは約7年かけてじっくり煮込まれ、とてもとてもおいしくなりました。その間たくさんの人においしいおいしいと愛されました。

 

そこへ2019年、新たな試みとして今までカレーに入れることのなかったような具材が投入されました。

予想外の具材であったためにはじめはみんなが戸惑い、また7年かけて煮込んできたものと比べるとまだ煮え方も味の染み込み方も浅いので、全ての人においしいと感じてもらうにはまだ時間がかかるかもしれません。これからさらに多くの人々に味わってもらうことになるので、さらなる工夫も必要かもしれません。

 

でもこれがしっかり煮えて綺麗にひとつにまとまった時、信じられないくらいにすごくすごくおいしくなるのだと思います。

そのために私は、たとえおいしくなるためのスパイス選びはできなくとも、温め続けるために火を燃やし続けたいですし、よりたくさんの人に食べてもらえるように広めるお手伝いをしたいです。そしていつの日か全国民、いや全世界の人々に愛される、おいしいおいしいカレーになれればいいなと思います。ちょっと何を言ってるんですかね私は…とにかく大好きなSnow Manがもっと愛されてほしいという話です(?)

 

 

 

そんなことを考えつつ、2020年1月21日、フラゲしたデビューシングルを手にし、いろんな想いが駆け巡りました。

私が知るだけでも本当に本当にいろんなことがあって、一言で片付けることはできないけれど、それでも一番に出てくる感情は「幸せだった」でした。

一生懸命な姿にたくさんの勇気をもらえて、自分もがんばろうと思うことができました。きっとSnow Manを応援したくなる一番の理由は、ここなんじゃないかなと思います。

 

これまでもいろんなことがあって、これからもきっともっといろんなことがあると思います。

愛しくて大切な想い出を全部全部抱きしめて、淘汰の先にある未来、頂上を一緒に見にいきたいなと思います。

 

 

 

いつも素敵な景色を見せてくれるSnow Manに、

今日もSnow Manを応援できることに、

今日という日を迎えられることに、

心から感謝します。

 

Snow Man

ジャニーズJr.卒業、そしてデビュー

本当に本当におめでとう。

たくさんの愛を込めて。